境界線上のホライゾンの既刊全てを読み終わって数日。
今は二周目に突入した。
ラノベの二周目は戯言シリーズ以来かもしれない。
『境界線上のホライゾン』を読んでいるとよく聞かれることがある。
それは他の箱本、
『魍魎の匣』とか『鉄鼠の檻』を読んでいる時も聞かれた。
それ面白いの?、と。
その問いの答えはいつもこうである。
読めるなら面白いよ、と。
普段薄い本(200頁ぐらい)を読んでいる人にとって、
その四倍の分厚さを読むのは大変だろう。
だから読めないという壁は存在するのだ。
読めないことは苦痛に繋がる。
いつまで経っても読み終わらないのに疲れ、
最後には投げ出してしまうだろう。
しかし読めるならこの上なく面白い。
そして忘却してしまう。
その本の質量を。
頁数を。
最後の方に思うのだ。
終わって欲しくないと。
実はそこが僕が分厚い本を求める根源である。
どんなに面白い物語も、
本である以上、
終わりがある。
未完か完結かは関係ない。
ただ本は読み終わると終わってしまう代物だ。
当然だけど、
それが寂しかった。
もっと読みたかった。
それはラノベを読んでいるとき、
強く感じたと思う。
楽しい会話、
萌えるヒロイン、
面白いプロット。
それら全てはラノベという形態上、
一日の内に読み終わってしまう。
物足りなさが残るだけだ。
だが物足りなさを感じるのは当たり前かも知れない。
何故なら、
僕が読んだ初めてのラノベは頁数が多い『クビキリサイクル』だからだ。
その後に読んだ『凉宮ハルヒの憂鬱』とか、
『灼眼のシャナ』とかは薄くて読む気が失せた。
こんなこというと怒られそうだが、
所詮一個人の感想だと思って欲しい。
あっ、アニメは別だよ?
くぎゅううううううっ・・・・・・、ふぅ。
戯言シリーズを読破後、
本屋を物色して見つけたのが、
京極夏彦だった・・・・・・
とりあえず、
長くなったので明日に続くっ
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